指導者と社会人と

日本では、スポーツや武道で精神面を鍛えると言う理由で、理不尽な事をわざと押し付け強制的に監督や先輩の指示に従わせる事があります。時には蹴る、殴るなどの行為も含まれ、それに屈せずある一定の期間が過ぎれば精神的に強くなったとする訳です。昔から、この様な事は繰り返され部活などでも一種の伝統の様に当たり前の事とされていました。行き過ぎたしごきが大きな障害を与えたり死を招く事も有ります。危険なのは”しごき”と”いじめ”が紙一重の性質を持っている部分です。人間としてまだ子供の”先輩たち”によるこうした行為は一歩間違えるといじめ以上にエスカレートする危険性を持っています。

理不尽な事。成人して社会に出れば誰しも色々な形で感じる事です。私を含め大多数の人が受け流してしまう事だと思います。その理不尽な事を学生のうちに体現する事は社会に出た時にプラスになるかもしれませんが、日本のこれらのしごきは、日本の社会に反映された年功序列の名残として残っている様に思います。年功序列という感覚が身に染みていない小学生サッカーのカテゴリーは世界レベルでも、その先の育成の違いから世界とは大きな差がつけられてしまいます。日本のジュニアユースとユースの年代にはまだまだ課題がある訳です。昔ながらの育成方法では世界で通用しない現実がある事は明らかですし、ますます指導者の質が問われて行きます。しかし、いくらサッカーの知識や経験が豊富でも監督、コーチ達はその前に社会人であり、もう子供ではなく青年期の選手達に多大なインパクトを与える存在なのだと言う事を認識している人は多くはない様な気がします。私が父親になり子供を育てて行く過程で気が付いた、自分の行動や態度、発言をまずは正しく見つめ直し息子のお手本とならなければならないと言う事。私は今でも息子に対しとった発言や態度が後になって考えると失敗だったと思う事があります。でも、そうやってお互いが成長し合う過程が素晴らしい事であって決して一方通行ではないのです。

この年代の監督も一方通行で選手達に力で言う事を聞かせてしまっては選手の個性は削がれてしまう様な気がします。厳しい秩序のなかで一人一人の個性を伸ばして行く事は難しい事です。特に若い監督や指導者となる人はそれなりの覚悟が必要ですし、選手達と一緒に成長して行くと言う認識が必要だと思います。それに加え、この年代ではまだ親御さん達との関係を全く無視する事は出来ませんし、監督やコーチは一社会人同士として私達親と接する訳です。社会人としてきちんとした対応が取れない監督やコーチは子供を預けている親からすれば、いくら素晴らしい経歴であっても心配になる訳です。親と監督との信頼関係は保てないし、子供からの信頼も勝ち取る事は難しいでしょう。

指導者である前にきちんとした社会人である事は最低条件だと思うのです。

子育てとサッカー

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