住んでいる世界

ここ何日かは、毎日自分の気持ちが落ち着かずに過ごしています。川崎でおきた13歳の少年の殺害事件があたまから離れず、心を痛めています。犯行の手口があまりにも残虐で少し前に報道されていた、イスラム王国の捕虜虐殺と何ら変わりません。犯人は何一つ悪いと言う意識もないままにこの様な残虐な犯罪をした様子ですし、洗脳されて育ったイスラムのテロリストたちとは違う、世界でも稀なぐらい高い水準の平和な環境と美意識をもつ日本で起こる犯罪とは思えません。しかも、犯人は未成年者の可能性があるわけで、川崎の河川敷は息子のサッカーの試合の時によく行く多摩川の河川敷の向こう側じゃないですか。

天気の良い日にはサッカー少年や野球少年達が沢山集まり、土手の上から眺める多摩川の河川敷はとても日本らしく穏やかな雰囲気を行くたびに感じていました。しかしもう、同じ様に感じることは出来ません。この目と鼻の先でテロリストと同じ様な手口で少年を虐殺した事件は、日本の教育環境、社会環境、大人との関係等の歪がさらにスピードを上げて悪い方向へと進んでいる証拠です。

日本ではよく聞く放任主義。昔の時代では、それでも子供は育っていました。しかし、今の子供達は二つの世界を同時に生きている訳です。現実社会とネット社会。現実社会がつまらなければ、ネットの社会に自己逃避出来てしまう時代です。ネットの世界で子供達は、世界観や考え方が全く違う環境のほんの一部だけ、上辺だけを映像で見る事が出来てしまいます。本当の意味する事なども全く知らないままにです。

この高い生活水準を保っている日本で、生活が成り立たない家庭も沢山有ります。親が働きに出てしまい一番身近にいて話を聞いてあげれる親の時間がとれず、次第に子供は子供なりに気を使って迷惑をかけないようにして相談をしなくなってしまいます。人は人との繋がりの中で生きて行くのですから、自分たちの生活している環境を良くするのも悪くするのもそこに住んでいる人次第です。

今の変化が速い時代では、子供達が踏み込むべきではない領域に簡単に入って行けてしまいます。生活に追われるがために目の前にいる自分の子供を見失ってしまわぬ様に、親としての立ち位置も昔とは違ってきています。本当の意味の放任主義とは、ただ子供をほうっておく事ではありません。子供の考えを尊重して見守り、間違った方向へ向かおうとしたら修正して正しい方向へと導くことです。この様な事が住んでいる町や地域で大人達が共通意識をもって行ければこの様な惨事になる事は防げたかもしれません。この日本で、高い生活水準の本当の意味での裕福さを実現するには町や地域での全体の意識改革が必要ですが、これは古来からの日本人が持つ思いやりの気持ちや感謝の気持ちを大切にする気持ちの特性に当てはまります。この様な日本の持つ美意識は全世界に誇れるものです。

誰かがではなく、まずは各個人、自分から意識を変えて行く事がいずれは、住んでいる町、地域、日本、世界全体を良い方向へと導いて行く重要な事だと思います。

子育てとサッカー

過去の記事はこちら

0コメント

  • 1000 / 1000